ラトビアの古代夏至祭

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正月が特におめでたくない国もある

たしか2015年、いや2014年だったかの初夏に初めてラトビアを訪れた。

お目当てはバルトの夏至祭りを体験することと、夏至の日に食べる特別な料理があるならば、それもぜひ経験して教わってこようというものだった。

「何でラトビアに行きたかったの?」とあとからよく聞かれたが、最初の最初の発端はおせち料理で、日本にはおせちという”ザ・ハレの日の料理”があるけれど、日本以外の国の正月料理はどんなものがあるのか?というフッと湧いた疑問がきっかけだった。

そこで各国の正月料理を色々調べた。それはそれでさまざまなバリエーションがあって興味深かったのだけど、そもそも、正月は特におめでたいわけではなく、大して祝わないという国も沢山あることに軽い驚きを得た。本当はかなり驚いたのだけど、よく考えたらそんなこと当たり前であって、暦は国や宗教、文化によって違うのだ。日本の暦での1月1日の正月には全人類が祝うはず!と、無意識的にでも感じていた私は恥ずかしいなと認識を改めたのだった。

夏至祭りの起源は古代神話

そこから派生していったのが、じゃあその国その国の一番めでたい日はいつなんだろうかということ。独立記念日だったり聖人の日だったり様々あるが、やはり「国の成り立ちや歴史の記念日」と「国の宗教にとっての大事な日」というのが2大パターンであるようだ。そしてそこにとても大きい影響を与えているのが、季節や太陽の動き。

季節や太陽というと、なんとなく歳時記的な情緒的な意味にも捉えがちだが、昔は季節や日の長さは生活を営んでいくうえで、リアルに具体的に大きな意味を持っていたのだろう。

体感として、日の長さがこれくらいになったら種をまくとか田植えの時期が来たとか。各国の祝日をみていると日の長さに関係した祭事は多くて(冬至、春分、秋分の日が大きなお祭りとかぶっている例は沢山ある)、それを前面に押しだしてなくても、宗教的な聖人の日とうまく組み合わせられている場合も多い。

この話を続けているとなかなか本題に行けないのでラトビアの夏至祭りの話に戻るが、そこで私が思ったのは、正月とは真逆の夏に大事な祭日を迎える国を調べてみようということで、挙がってきたのがバルト三国の夏至祭りだった。

ヤーニスの丘にいたラトビア人カップル。バルト神話の神様のようで見とれた。

夏至祭は名前の通り、太陽が一年で一番長い時間顔を出している日に行われる。元々は古代的な太陽崇拝のお祭りで、特にラトビアの夏至祭は、古代バルト神話の太陽神サウレの祭りとしての形が色濃いようで、それを知ってますます行きたくなった。北欧や北ヨーロッパでも夏至を祝う国は数々あって、多分どこも古代的な太陽崇拝が下敷きにあるのだろうが、現在はキリスト教の布教の影響で、聖ヨハネの祝日として定着している場合が多い。その中で“太陽が一番長くそこにいる日”という喜びを共有するものとしては、ラトビアが一番のようだった。

ラトビアでもキリスト教は浸透しているので、聖ヨハネの日としての意味合いもあるようだけど、ただ、行って参加した限りで言えば、キリスト教の祭りというよりも、太陽や自然を敬って、その恩恵を心から楽しむ姿の印象の方が大きい。実際、この日が一番日が長く、あとは一日一日と日が短くなってくる。今日を楽しまずしてどうするという気持ちもあるだろう。実際、夏至祭りは少し哀しいと言っていた人がいた。冬至は寒くて暗いけど、これから春に向かうんだという嬉しさがあるそうだ。短い夏を惜しみ、太陽の恩恵をみんなで分かち合う心情がきっとあるんだろう。

リガ郊外の街スィグルダへ

成田からトルコ経由でラトビアの首都リガに着いたのが、6月21日夏至当日。スィグルダという街で古代夏至祭が開かれるということで、睡眠不足でへろへろの中、ガイドの女性と現地に向かった。6年前のことなのではっきりとしないが、多分電車で30分ほどだったと思う。周辺には国立公園があり、1200年頃にリヴォニア騎士団によって建てられた古城がある。木漏れ日を受けてきらきら輝く緑がまぶしい静かな美しい街で、まるで別荘地のようだ。古代夏至祭が行われるのは、古城近くの”ヤーニスの丘”というところだった。

ヤーニスの丘

ラトビアでは夏至の日を”リーゴ(Ligo)またはヤーニスの日と呼んでいる。

ここヤーニスの丘にも古代の夏至祭に参加するため沢山の人が集まってきていた。

丘や草原のあちこちで、老若男女問わずの人たちが、草原で摘んできた花を自分で編んで冠にするのに一生懸命(ラトビア人なら誰でも草冠くらい作れるそう)。去年つくった冠は今年のかがり火に投げ入れるそうで、日本のどんと焼きの習慣によく似ている。冠は女性は様々な花でつくり、男性はリンデンか柏の葉のみでつくるのが慣習のよう。

冠用の花を真剣に摘む人たち
民族衣装の帯をつけた男性も真剣
まずは冠がなければ始まらない

夏至の神秘的な言い伝えとは

夏至祭には超自然的な言い伝えが多いことも特徴の一つで、夏至を祝う各国では様々な伝承がある。夏至に限らず、季節と季節の節目には、精霊や妖精が現れたり悪霊が歩き回るといった話は多いが、夏至の場合は、伴侶を得るカップルになるということに関しての言い伝えが多いようだ。そういえば、日本で唯一、夏至の祭事をおこなう伊勢の二見浦にも夫婦岩という一対の岩があって、二つの岩はしめ縄で結ばれている。ちょうど夏至の頃に二つの岩の間を太陽が昇ってくるのが見えるそうだけど、世界的に夏至の日はカップルの成立を意味する伝承が多いのだろうか。そういうことをネタに商売を企む人も現れそうな話だけど。

ラトビアでは、夏至前日の夜に摘んだ草やハーブに特別な薬効や力が宿っていると考えられていたり、夏至の夜に特別な花を見ると結婚生活が幸せになるという言い伝えもあるそう。ヤーニスの丘でも、そんな風に何か占っているような様子がそこここで見られた。何をしているのか聞いてみたかったが詳細は不明。儀式、占い、言い伝えというと怪しさを感じさせるが、実際には怪しいというより真剣に楽しく向き合っているといった風だった。

前夜に摘んだ霊験のあるハーブ?
何を占っているのだろう

古代夏至祭の再現

丘を登りきると開けたスペースがあって、大きな木の枝を組み、かがり火が焚かれる準備がされていた。周囲に草を散らしてあるのは何か霊的な言い伝えによるもののようで、ここが古代夏至祭の再現が行われる場所ということらしい。しかし正直、この頃私の意識はかなり覚束なくなっていて、この時の為に来たんだという一心だけで、肩からカメラと動画撮影用のビデオをかけて立っているので精いっぱい。今になって思えば、というか元気一杯だったら、あれもこれも質問したかったし、花輪をつくったり見たり聞いたり心底エンジョイしたかった。ただ、イスタンブールでのトランジット9時間に加えて、飛行機の上でよく眠れないために、成田を出てからずーっと終わらない一日が続いているのだった。ここに来れたということで限界が来つつあって、夜明けまではいられないなと思っていた。案の定、古代夏至祭りを見た後、太陽に見立てたポールに弓矢を放つ儀式が行われ、その最中に突然強い雨が降りだして、寒さと疲れで限界が来てしまった。でも・・メインは見れたから良いのかなと思っている。

火がつけられ儀式が始まった
儀式の列の先頭にいた男女

夏至祭の儀式は、日が少しずつ傾きかけていた21時前後に始まった。民族衣装を着た背の高い美男美女一組を先頭に「ドゥーダリドゥ、ドゥーダリドゥ」と古代の儀式の唄を歌いながらかがり火の周囲を回る。女性の衣装の帯の模様はアイヌの刺繍にもよく似ていた。男性は太鼓をならし、女性は神楽鈴を手に持って振っている。なんとなく日本に通じるものがあったが、それもそのはずかラトビアにはラトビア神道という民族宗教があるそうだ。もちろん日本の神道と関係はないが、太陽や自然のサイクルを基にした考え方や価値観は根底で通じるものがあるのかもしれない。

さて、動画は気を振り絞って撮って、のちに妹に編集してもらったものをYoutubeにアップした。下の動画がそれです。

そんなことで私の長い夏至の一日は終わったのだったが、ここから私のバルトの夏至の休日が始まったのだった。この後にはガイドをしてくれた女性の個人的な友達の夏の家に連れて行ってもらい、ラトビアの夏至休みを一緒に過ごさせてもらっている。さらにはファームステイをして、ラトビアの伝統的な太鼓の演奏を聞かせてもらったり、戸外のあづま屋でファームの夫妻と食事を摂ったり、ミッドサマーチーズのつくり方を教わりに行ったりと楽しい経験が満載だった。

次は夏至の休日とミッドサマーチーズの話を書きたいと思う。

民族衣装でミッドサマーチーズをつくる女の子
重しを乗せて水分を抜く